秋も深まってまいりましたね☺

今回は10/27,28に行われた紅葉杯について、1年の古舘君に書いてもらいました!

 

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初めましての方は初めまして、お久しぶりの方はお久しぶりです。一年の古舘です。いろいろ疑問とか感想とか書きたかったので今回紅葉杯についてのブログという形で書かせていただきます。僕個人の感想や意見以外に疑問の投げかけも多く含まれるのでツイッターか何かで議論、応答などしていただけると幸いです(このブログにコメント欄とかあればそこがベストなんですけどね)。

 

ひょっとしたら今回の駄文を読んで頂く前に前回の駄文を読んで頂いた方がわかりやすいかもしれませんので暇な方はそちらからご覧ください(誰かがリンクを貼り付けてくれているかも知れません)。

 

それでは先に大会に関して。

0.      試合開始まで

 今回の大会に参加しようと思ったきっかけはコミュニケーションディレクターの方の名前に見覚えがあったからです。それ以上でもそれ以下でも無い、ものすごく単純な動機で参加を決めたわけですが直前にした誘いに応じてくれたパートナーに感謝しかありません。

 大会数日前から体調悪いなー、熱っぽいなーと思っていたわけですが徐々に悪化してゆき当日は無事に喉が死んでおりました。これが後々のやらかしの伏線となるわけです。

 

1.      R1

 THW force companies to reflect the racial diversity of national population on employee composition.

結果 CG/OG/CO/OO

 僕たちはCOで、結果的に完全にGov win となってしまった悲しき初戦です。多少金がもらえるようになっても就業規則とか就業日とかで文化守られなかったらやばくね?という話と金より文化だよね、という話をしました。モーションが無ければマイノリティーだけの会社で文化が守られる、という話も少しはしましたが弱かったようです。RFDでOGのセットアップが良かったという話もありましたがこれに関する話は後ほど。

 

2.      R2

 THW require individuals to pass a political general knowledge test in order to gain the right to vote.

結果 CO/OO/OG/CG

 R1とは一転、Opp win です。OOとしてテストの中立性、学力(識字能力)の格差で投票できる人が絞られる、という話をメインでしました。個人的にはこの手の条件付きで権利を付与するという天賦人権論に真っ向から反対する主張は嫌いなので権利は無条件に認められるべき、という議論も出しましたがどう悪いのか分からないと言われてしまいました。べき論でその「望ましさ」が失われるとどうマズいのか、という点の説明は自分でも課題だと思っているので何とかしたいです。

 

3.      R3

 THBT developing countries should adopt English as the principal language of instruction in schools.

結果 OO/CO/CG/OG

 実は僕は公式戦のOG4位以外取ったことがありません。今回も無事死亡しました。準備時間に喉を守るためあまりしゃべらず最小限の発生で意見交換しようとしたのですが僕はまだまだ発展途上の国、パートナーは中国、フィリピンくらいのまあまあ発展してる国を想像しておりまるで想定が違うという悲劇が発生しました。ただこの試合のRFDについて思うところはあるので後ほど。

 

4.      R4

 THR the perception that soldiers are heroes.

結果 CO/CG/OG/OO

 CGとしてなぜ子供が特に戦士、兵士に憧れその思考傾向が大人になっても続き、悪いのかを説明しました。順位は今ひとつ腑に落ちていませんがRFDを聞いていないのでなんとも…。

 

 ここからが本題です。

疑問1 Govが主張すべきことは何か?Oppが主張すべきことは何か?

 ディベートにおいて基本的には二つの異なる立場から主張がぶつけられます。Govが何かしらに親和的、友好的なスタンスであることに(おそらく)異議のある方はいないと思います。何かに対して肯定的であると解釈できそうなのでGovを「肯定側」、対するOppを「否定側」と以下は呼称します。それでは一体肯定側は何を肯定しようとしているのでしょうか?この問いに対する一般的な答えは”Motion”かもしれません。しかし本当にそうでしょうか?

 肯定側、特にOGはセットアップやモデルと称して状況を想定します。Motion(以下論題と呼称)の言葉の分析や背景の分析は全く問題ないとは思います。しかし今回のR2のような論題の際に、

・試験では必要最低限の政治、経済に関する知識のみを問う

・試験は公平、中立な第三者機関が作る

・試験作成者は国が設立した有識者委員会のメンバーが協議、推薦等で決定

・試験時間は60

・学校教育で政治的知識を公平に教える

・試験は無料

・受験前に無料で講習を受けられる

…といった細かすぎる状況を仮定して議論を肯定側がした場合、本当に論題全てを肯定できているのでしょうか?この場合彼らの仮定している状況(プラン)を肯定しているとは言えてもそれは論題全体のごく一部なのではないでしょうか。こうなると肯定側とは「プランを肯定する」と説明できそうです。

 つまり、論題を肯定するならば細かいプランは不適切ですし、なんならプラン、モデル自体が不適当です。分かりやすくするにしても論題全体の代表たるモデルが望ましいわけです。逆にプランを肯定するならばどこまででも細かくして良いと思われます。また、この場合肯定側のプランの実行可能性に関する立証責任がかなり重くなりそうです。

 この議論は否定側についても同様です。果たして肯定側の主張を否定するのか論題を否定するのか、論題の肯定を妨げるのか。論題によってはかなり大きな差となりそうです。
 この点に絡んで、THを措定して良いのかという疑問もあります。論題の背景からある程度の妥当性を示した上で(このような問題が社会全体で起きている国は日本だけだからTHは日本、等)指定するのならばまだしも突然肯定側が指定した場合それで論題を肯定できているのでしょうか。

 僕の個人的な意見としては、以前プラン由来の弊害を議論として提出した際にジャッジの方からそれは本質的では無いという理由で評価されなかった経験があるのであくまでプランは代表的な一例と捉えて肯定側は論題を肯定するという立場が英語パーラーにおいて支配的なのだろうと思っています。そのため詳細なプランを構築することの妥当性に疑問を覚えているのがこの文章を書いた理由の一つです。

 

疑問2 代替手段の存在

 疑問1に関わらず肯定側が何等かの望ましさを示すことは間違いないでしょう。そして否定側は論題の不味さを示したり望ましさのレベルを下げたり、そもそも望ましくないと言ったりするはずです。この両者の議論の比較により望ましければ肯定側が勝つことになる(BPの場合ここまで単純では無いでしょうが)と思われます。それでは望ましさのレベルを下げる手法として代替手段の提示は適切なのでしょうか?
 今大会のR3で肯定側としては英語を習得できるという方向性で議論を提示し、否定側からなぜ第二言語として教えるのではダメなのか?と指摘されました。僕の理解ではこの点が決定的な否定側のサイドとしての勝利に結びついたことになっています。

 代替手段の存在で望ましさは否定されるのでしょうか?例えば飲食店内の禁煙について論じる際に以下のような議論が想定されます。


A「禁煙にすると受動喫煙が減るから禁煙にするべきだよ」

B「分煙でも受動喫煙が減らせると思うよ?」


この議論において飲食店内の禁煙の「良さ」、「望ましさ」が否定されているのでしょうか?確かにBから積極的に「禁煙の悪さ」、「分煙の良さ」について立証があれば禁煙を否定できるでしょう。しかしあくまで手段の提示に過ぎないこの段階で否定できているとは言えないでしょう。

 ここで一つ確認しておくべきことは論題が何を要求しているかということです。政策の導入なのか文言の正しさ、望ましさなのか。この疑問もまた議論する際に肯定側の肯定するべきものとして大きく関わってくると思われます。ただ単に望ましさを示すだけなら(〜より望ましい、といった論題でない限り)他の手段はどうでも良いのです。政策として導入すべきという話ならば他の手段との比較も必要かもしれませんがこの場合当然論題から直に発生していない、プランから発生する弊害も利益の比較の際に材料として扱われるべきです。

 代替手段の望ましさをもって政策として導入すべきでないとする場合以下の条件が必要とされます。

1.      非命題性

 肯定側の提出した政策について議論するのならば否定側の提出した政策が命題的(論題を肯定しうる)ものでも良いとする考えもあるようで、僕もそれに同意するのですが、一般的には否定側の案(カウンタープラン)は非命題的でなければならないとされているようです。つまり論題を肯定する政策というのが何種類もあるわけですがその中に含まれれば命題的、含まれなければ非命題的ということです。要するにカウンタープランが論題を肯定していれば意味ないよね、という話です。

 

2.      競合性

 例えばR1で否定側が会社内の人種比を調整せずに教育で差別意識なくしたり経済政策で経済格差なくしたりして格差を埋めれば良いとだけ言った場合それは論題や肯定側の主張の否定には結びつかないわけです。より良い政策を議論するならば教育の改善と人種比の調整、両方すればいいわけですから。健康法について食事改善と運動とで議論して、どちらかが優れていたとしてももう一方が体を健康にしないわけでは無く、よりよい結果を得たいなら両方すれば良い、という例がしっくりくるかと思います。

 

3.      優位性

 ディベートは基本的に比較的自分たちのサイドの方が良いと言うので当然と言えば当然です。代案出してそれが劣っていれば無意味です。当然代案の方が良いと言えなければなりません。

 

以上の3点に基づいて考えると英語で教えることが良くないと相手は言っていたのか、という点についての疑問が当然残るわけです。RFDでは必要性が分からなかった、なぜ他の手段ではだめなのか分からなかった、という話でした。上述の観点に基づくと必要性に関する立証が不要であると言えると思います。論題によっては無数にある他の全ての手段への優位性を示す立証責任を肯定側に課すとすればそれは明らかに不平等で不可能です。ディベートが比較によって決められる以上必要性は不要であると言えます。両サイドから出ている政策案をきっちり評価した上で判断されるべきであり、片方の必要性への言及のみで決せられるべきではないのです。

 

とりあえず僕が提起したかった、主張したかった主な論点は以上です。意見、議論等お待ちしております。お前の意見おかしい、といった方は是非教えて頂けると助かりますし、なるほどと思って頂けるならそれもまたよしです。いずれにせよ反応が返ってくれば僕が喜びます。

 

 以下、些細な感想。

 英語パーラー界隈の公式HPとか作らず全ての発表をフェイスブックで済ませる文化ってどうなんですかね。ネットで個人情報登録することに抵抗がある人間なのでフェイスブック使っておらず不便だなあと思っております。開会式の挨拶、説明も完全に形骸化して詳細は自分でフェイスブック上にある資料見てね〜ってなってますし。本当は何て言っているんだろう、書いてあるんだろうという疑問はあります。あの資料、基本的に前にあった大会で使われた資料を参照しているようですけどたどっていくと行き着く先はどこなんですかね。

 割と重要な感想としては時間をもっと早くに発表してほしい。九州からはるばる参加する少数民族を重要視しないのは分かりますがいつ、どこに集合かが分からなければ行動計画や宿を取るのか朝行くのかといった計画ができません。受付開始とかいう超重要情報はできるだけ早くいろんな媒体で公開してほしいです。フェイスブック以外の媒体も使用して頂きたいです。

 

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大会お疲れ様でした!

 

Commiserations

QU A(Soma Furutachi、Shunya Kishimoto)